*2001/10/31〜11/17 カラパタール(5545m ネパール)
感 想:
☆ 薄い空気と寒さの中を高山病を心配しながらただひたすらに歩いた。ただし、ベストシーズンだけ
行 動 記 録: 記 録:感 想: 永 田
エべレストをまぢかに見られるカラパタールまで
トレッキングに行ってきた。カトマンドウまでの
往復航空券のみ購入し、それ以外の交通、宿泊、
ガイドの手配などは現地で行った。
10月31日 成田 10:30 〜 15:30(以下現地時間)バンコクタイ国際航空(乗継ぎ)
11月 1日 バンコク11:45〜14:30カトマンドウ
カトマンドウへ着いてまずルクラ行きの航空券を購入した。
市内観光 ダルバール広場付近を歩き回った。物売りが多く街中は雑然としていた。
2日 カトマンドウ11:10〜11:50ルクラ
ロイヤルネパール航空20人乗りのプロペラ機でルクラへ。ルクラへ着いて昼食後すぐ
トレッキンに出発。
ルクラ(2840m)12:20〜14:40パグディン(2652m) 始めは約200mの下り。
3日 パグディン8:20〜10:00チュモア〜13:30ナムチェバザール(3446m)
4日 ナムチェバザール滞在(高所順応のため)
この日はナムチェ9:00〜サナサ12:10〜13:40ナムチェとひと回りしてきた。
ナムチェバザールはすり鉢状の傾斜地にある、ロッジが100軒以上ある大きな村。
5日 ナムチェバザール7:50〜12:50タンボチェ(3867m)
標高が上がるとともに気温がだいぶん下がってきた。日本から持ってきた寝袋だけでは
夜は寒くてよく眠れなかった。
6日 タンボチェ7:50〜14:00ティンボチェ(4343m)
前日まではあまり感じなかったが、今日の歩行は苦しかった。標高が高くなって空気が
薄くなってきているようだ。ここティンボチェからエベレストが遠くに望めた。
夕方少し雪が降った。夜は寒いので持ってきたものを全部着て、その上ふとんを1枚借
りて寝袋にもぐりこんで寝た。夕方6:30に寝て、朝6:30までよく眠れた。
7日 ティンボチェ滞在(高所順応のため)
前日、日本人が高山病のためなくなりヘリコプターで運ばれたとのこと。高山病には
細心の注意を払っていくことにした。今日は裏山まで登ってきた。約5時間、標高5000m
以上あったようだ。
8日 ティンボチェ8:50〜13:30ロブチェ(4930m)
空気が薄くなり荷物をかついでの歩行が苦しいので、今日から当分の間ガイド兼ポーター
を頼み荷物を担いでもらうことにした。それでもちょっとした登りでも苦しい。道は平原
状の見晴らしのよい所を行く。
9日 ロブチェ8:00〜10:50ゴラクシェプ(5280m)
やっとの思いでゴラクシェプに着いた。今日はこのあとカラパタールまで往復するつもり
だったが、体が動かないので休養することにした。
10日 ゴラクシェプ6:10〜7:40カラパタール(5545m)〜8:40ゴラクシェプ9:40 〜12:10ロブチェ〜
16:15ペリチェ 朝早く出発してカラパタールに登った。
ヌプツエ、ローツエ、エベレストなどがよく見えた。ベースキャンプも近くに見えた。
計画ではゴラクシェプにもう一泊し、ベースキャンプへ行く予定だったが、もう体力も気力
も無くなったのでこのまま帰ることにした。ティンボチェの近くのペリチェまででガイドを
解雇した。
11日 ペリチェ8:30〜13:30タンボチェ14:00〜15:10プンキテンガ(3250m)
今日からまた一人で歩く。帰りはだんだんスピードが出てきた。
12日 プンキテンガ7:40〜11:10ナムチェバザール12:00〜16:20パグディン
プンキテンガを出てすぐ500mの急登があるので、この間だけポーターを雇いザックを担いで
もらった。
13日 パグディン8:00〜11:40ルクラ
カトマンドウ行きの航空券を変更するため午前中にルクラへ着いた。
16日発を明日14日発に変更。今日で歩くのがやっと終わった。
12日間毎日苦しい歩きだった。もう歩かなくてもいいと思いほっとした。
14日 ルクラ9:00〜9:30カトマンドウ ロイヤルネパール航空
市内観光 標高1500mのカトマンドウは日差しが強く暖かった。
15日 カトマンドウ滞在 市内観光
16日 カトマンドウ14:00〜18:00バンコク タイ国際航空(乗継ぎ)
いよいよネパールともお別れ。山中では10日間くらいは着替えもせず、着の身着のままだった。
山に住んでいる人たちの生活は大変なものだ。新聞、ラジオ、テレビはない。
シャワーもない。あるのは粗末な家と乏しい食べ物だけ。日本とはちがう世界だった。
17日 バンコク23:00〜07:00成田
あって毎日晴れて気持ちがよかった。
☆ 世界中から多くのトレッカーが来ていた。毎日100人位は来ていたようだ。日本人も結構多い。
個人でガイドやポーターを連れて歩いている人も多い。中には最後まで1人で荷物を担いで歩く
日本人青年もいた。ただ、今年は米国同時テロの影響でトレッカーは少ないといっていた。
特にアメリカ人には殆ど会わなかった。
☆ トレッキング中は人が途切れることはなかった。他のトレッカーや荷物運びのポーターやヤクーを
つれた隊列などが常に追い越したり、あるいはすれ違ったりした。
☆ 宿泊はすべてロッジ泊り。食事はロッジで食べた。メニューは結構多い。しかし、ネパール独特の
味付けが鼻についてきてだんだん食べられなくなった。
そのため余計に力が出ず歩くのがきつかったのだと思う。
☆ ロッジは情報交換の場であった。多くのトレッカーやガイドと会った。ガイドの中には日本語を話す
者も多く、直接現地のエージェンシーに電話かFAXでトレッキンギのガイドを依頼するのも簡単。
☆ 今回は1人で予約なしでトレッッキングに行った場合何が困るのか調べるのも目的だった。
無事に予定通りに帰ってはきたが、問題もあった。
空港での手続きが意外と面倒。1人歩きはどうしても危険性がつきまとう。
訓練を受けたしかも素直なガイドを選ぶ必要がある。
日常会話程度の英語は最低限の用を足すのに必要。
☆ 費用は航空券代(国際線及び国内線)が15万円、トレッキングの費用が5万円、計約20万円
大山川へ。
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