桜  談  義

(写真にマウスを持って行きますと説明が出ます)

高遠城の桜

「高遠城の桜」  写真提供  岡谷市  林 五介 様


散るサクラ、残るサクラも散るサクラ  ―「桜談義」―

                           神奈川県森林インストラクター   宮本  聰

          3月、4月は定年退職や転勤者の送別会たけなわの時節でもある。
          桜は無常、妖艶、無垢・・・日本人が最も好む「日本の花」である。
             世の中に絶えて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし
                                    ―在原業平―

          桜は何時ごろ日本に現れたか定かではないが、「古事記」にでてくるコノハナ
          サクヤヒメの語源が桜であることを考えると、富士山の浅間神社の祭神は富士
          山や伊豆半島に多い、「マメザクラ」ではなかったろうか。
          奈良時代は春の花といえば、もっぱら梅であった。万葉集には梅を詠んだ句が
          118首、桜は40種首とのことである。
          平安時代から鎌倉時代になるにつれて、桜が圧倒的に多くなってくる。枕草子
          や源氏物語に登場する桜は、ヤマザクラ、ヒガンザクラ、エドヒガン、シダレ
          ザクラが主だといわれている。
             願わくば花のもとにて春死なんその如月の望月のころ―西行法師―
          この和歌は吉野の桜に陶酔して詠んだといわれるが、おそらくヤマザクラであ
          ったろう。
          シダレザクラ、エドヒガンは奈良、京都を中心とした、いわゆる都人の花見の
          対象であった。
          なかでも、太閤秀吉の「醍醐の花見」は空前絶後の大宴会であった。
             花の雲鐘は上野か浅草か ―松尾芭蕉―
          江戸の桜はヤマザクラ、エドヒガン、シダレザクラかはっきりしないが、ソメ
          イヨシノでないことだけは確かである。
          ソメイヨシノは伊豆半島で生まれた、エドヒガンとオオシマザクラの自然交配
          種で、江戸末期から明治にかけて、駒込の染井にあった植木屋から売りだ
          されたことから、ソメイヨシノと命名されたものと言う。今やソメイヨシノは
          「桜のエ-ス」である。
          小生は三十年程前、かねがね小宅の庭に桜を植えたいと思っていたが、
          出張先の大阪の植木屋で酔っぱらった勢いで買って帰り植えた桜が、なんと
          関東で生まれたソメイヨシノだった。
          日本とヒマラヤの植物相は似ているといわれるが、ヒマラヤザクラ、ヒマラヤ
          ヒザクラなどと、ヤマザクラやカンヒザクラが似ていることを考えると、桜の
          故郷はヒマラヤかもしれない。
          日本の桜がワシントンやニュ−ヨ−クで、見事な花を咲かせていることは、衆
          人の知るところである。1912年、ワシントンにはソメイヨシノほか11種、3020本
          、ニュ−ヨ−クには11種、6700本の苗木が日本から送られたという。
          送り主は東京都と言うことになっているが、資金はアメリカとの友好に心を砕
          いた、タカジアスタ−ゼ発見で有名な高峰譲吉博士が提供されたものという。
             花の色は移りにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに
                                       −小野小町―

          この花はやはり桜であろうか。何か身につまされる和歌でもある。
                                                  (完)

提供  2003.Apr  神奈川県森林インストラクター  宮本 聰 様


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