製作月日 : 14年8月16日
随分昔のことになるが、1968年10月、"槍ヶ岳の北鎌尾根"を単独で登攀した。
北鎌尾根は、槍の穂先から千丈沢と天井沢へ鋭く切れ落ちる岩峰が続く岩尾根である。
当時のアルペンガイドブックには、"穂高の滝谷や奥又白谷の岩登りを経験している
パーテイにだけ許されるルート"とある。 風雪のビバークの松涛 明や、伝説の登山家・
加藤文太郎が逝ったのもこの尾根である。
ホームグランドである八ヶ岳の、赤岳沢や赤岳西壁などの登攀は幾度か経験していたが、
北鎌尾根の単独登攀は一年余り念入りに調べて決行した。
10月6日の記録、「 今日、この岩稜は自分と1パーテイのみ。 大槍に取り付いた頃から
ガス深く岩壁青く沈む、小さな落石2度。 15:07登頂、人気なし、ブロッケン現象をみる。
[北鎌沢出合6:00 → 北鎌沢コル8:27 → 北鎌独標11:16 → 北鎌平13:40 → 槍ヶ岳15:07]
とある。 自分に妙に自信を持ち始めたのは、確かこの頃である。
( 平成14年8月16日 )