撮影場所
埼玉県 飯能市
撮影月日
13年10月26日
さてさて上の写真は?
現在、在学している大学の同期生二人と、足腰強健の神様「子ノ権現」参拝に歩いて行こうということになり
出かけた。当日は天候に恵まれ絶好の登山日和であった。
西吾野から子ノ権現・奥の院・吾野のコースを辿った。
西吾野駅から国道に出て川に沿って300mほど下ったところが子ノ権現の登山口となっている
その国道沿いのガソリンスタンドで、珍しいものを見つけデジカメに収めたのが上の写真である。
さて、この潜水艦らしき物はなんであるか、お解りになる方の年齢はおおよそ解るというものである。
懐かしさについつい見入ってしまった。お解りにならない方は------。
山を登るに従い木々が色ずき、鐘撞堂や東屋周辺のもみじの紅葉は見事であった。
今日は木曜日とあって、西吾野からの登山者は他に7人の女性グループのみであり、非常に静かな
ゆったりとした山行が出来た。
子ノ権現(天龍寺)の略縁起
子ノ権現は、延喜11年(911年)6月13日、子の聖が初めて
この地に11面観音をお祀りし。天龍寺を創建されたことに始まります。
その後、恵聖上人が子の聖を大権現と崇め、子の聖大権現社を建立
されました。
子の聖は、生来才智鋭く仏教に通じ、生まれた時が子年子月子日
子刻であったため、人々に子の聖と呼ばれていました。子の聖は、
当地を終焉の地として参られ、その際「我、化縁につきぬれば
寂光の本土に帰るべし。然れども、この山に跡を垂れて永らく衆生を守らん。我山をおり、魔火のため腰と足を痛め悩める事あり。
故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん」と誓いをたてられました。以来。足腰守護の神仏として信仰されています。