本日は会員の皆さんお忙しい所、ご遠方までお出でいただき有難う御座いました。
30周年記念祭ですので、会の歴史についてちょっと触れてみたいと思います。
この会は昭和45年4月1日に発足しました。その当時、会の創立に関係した人は現会員
では石黒さんだけです。
私は数ヶ月遅れて入りましたけれども、発足当時の会は「稜線の仲間」と言う会でした。
入会金が千円で今と変わりません。月会費は500円でした。会が発足して間もなかった
こともあって、器具費は月三千円でした。そして遭難対策費が二千円で、当時の私の
給料から致しますと結構高い金額だったと思います。
しかしこれは会が出来たという事で、皆が高額な会費を出しあって会を作ってきたよう
な気が致します。それで出来た会というのは非常に厳しい会でした。どう言う事かと
いいますと、点数制がありまして、例会に出席すると3点・遅刻すると1点とか、
定例山行参加は4点・合宿参加は8点などでして、年間通して120点取らないと除名となりました。
私は、大学の山岳部にいた事もあって、すぐ企画委員会の責任者をやらされました。月に6回位は会合に出席する状態でした。
第一と第三の木曜日は定例集会で、第二と第四木曜日は懇親会でした。
こういう会合に出ることによって、3点とか1点とか点数を取る訳で、120点を確保するのはかなり厳しいものでした。
私なんか仕事の関係でなかなか点数が取れませんでした。
こんな事がしばらく続きましたが、その後、会の中で若干のトラブルが生じまして、会が二つに分かれてしまいました。
同じ市の中に「稜線の仲間」と言う会が2つ活動していた訳で、これではまずいと言うことになりましたて「大宮岳稜会」と
名称変更し現在に継続されている訳です。
この会になってから結構若い人達が入ってきまして、山行形態が岩場や雪山志向になってきました。そんな中で昭和54年
1名の方が尊い命を落とされる事故が起きてしまいました。
谷川一の倉の2ルンゼでハーケンが抜けての事故でした。それから3年後に、北アルプスの稜線で他の会の会員2人が
先行し、その後に岳稜会の会員2人が登っていました。その時先行していた会員が落下してきて、その巻き添えで1人が亡くなる
という事故でした。その時は亡くなられた方を探すのに大変苦労致しました。
半年以上経過した7月31日にやっと見つけ出す事が出来ました。
3件目は、平成11年小川山で1人の方が亡くなられています。この事故は皆さんも良くご存知の事と思います。
長い歴史の中でこのような悲しい事故があった訳ですが、私は思うのに遭難というのは、登山技術を磨いていれば7割から
8割は防げると思います。遭難事故報告や資料などを分析しますとこの事が良く解ります。
遭難を未然に防ぐには、一人一人が登山技術や知識をしっかり身につけてもらう事が非常に重要です。
それからまた、会員一人一人が、大宮岳稜会をより良い山岳会にするために、考え努力してもらう事も大変重要な事です。
会長や役員が会の方針や活動計画を決めるからお任せというだけでなく、みんなに企画・立案・実行に参画して貰いたいと
考えています。定例集会には大勢の方が出席し、積極的に意見を出していただきたいと願っています。
そうすることが会のますますの発展に繋がるものと確信しています。大変長い挨拶になってしまい申し訳ありませんでした。
以上で終わります。
乾杯の音頭 力 山 氏
おおとしまと言う事で乾杯の音頭を取らさせていただきます。
十年一昔と申しますが、岳稜会は創立三十年という大変立派な輝かしい歴史を
積み重ねる事が出来ました。これも偏に石黒名誉会長・田中会長はじめ先輩各位の
ご努力によるものと御礼と感謝を申し上げます。
また、今年は若い方が大勢入会されて、岳稜会にとって大変良いことだと思います。
それでは乾杯の音頭をとります。30周年大宮岳稜会の益々の発展と、会員の皆様の
ご健勝を祈念して乾杯致します。
乾 杯
創立30周年記念撮影
(写真にマウスを持って行きますと説明が出ます)