子ノ権現・愛宕山
4年前まで毎年正月には、足腰健康祈願のために「子ノ権現参り」をしていましたが、 このところご無沙汰していました。最近怪我が多くなり、足腰の衰えを強く感じるよう になりました。足腰健康神頼み、5月5日のこどもの日に「子ノ権現参り」をしてきました。 好天に恵まれ沢山ご利益があったような気がします。 【こどもの日 青葉若葉に 誘われて 子ノ権現に 足腰祈願】(駄作) 2017年5月5日 撮 影:東 川 -No1-子ノ権現本坊庭園のボタン- -No2-小床集落の入り口にある【六地蔵様】- -No3-八重の山吹- -No4-道路脇の【マムシグサ】学名:Arisaema serratum- -No5-モクレンが満開でした- -No6-小床集落の登山口近くにある民家- -No7-登山口に鎮座する石地蔵様- -No8-子ノ権現周辺には【シャガ】の群生多し- -No9-よく見ると美しいシャガの花- -No10-子ノ権現山門- -No11-参道が続く- -No12-【本坊】茅と杉の皮で何層にも 葺かれた屋根が名物- -No13-【本堂】総ケヤキ造りの旧本堂は 昭和57年7月落雷により消失その後再建された。- -No14- - -No15-祀られている仏様(本堂祭壇横に掲げられている)- 創建911年(延喜11年)天台宗 特別寺 武蔵野観音三十二番札所 関東百八地蔵尊 十番札所 -No16-昭和十二年三月吉日 神田講中 奉納- 本坊の軒には奉納された額が沢山ある。 人力車組合など足腰を使う人たちの額が多い。 -No17-紀元二十五年三月(明治9年)武蔵國 比企郡 小川町大塚- -No18-大正五年十月吉日 埼玉県 大里郡 深谷町 人力車組合 奉納- -No19-明治十六年三月吉日のみ読める- -No20-小高い山にある鐘楼- -No21-鐘楼からの東京方位面- -No22-鐘楼からの 本堂&本坊- -No23-中央【愛宕山】愛宕社(奥宮)がある- -No24-愛宕社- -No25-低山でも遭難事故多し:注意!!- -No26-二本杉(天然記念物) 樹齢およそ千年- -No27-雷の被害を受けている- -No28-天寺 12丁 登山道に置かれている距離表示の石の道標- -No29-苔むした 天寺 13丁- -No30-登山口に置かれた 【天寺 15丁】と思われる石の道標- -No31-ツツジが満開- 小床集落の登山口から子ノ権現まで、1丁置きに「天寺○○丁」 と刻された石の道標がおかれていたものと思われる。現在「天寺 12丁」〜「天寺15丁」が確認できる。登山口が「天寺15丁」子ノ 権現が「天寺1丁」であったと思われる。(1丁は約190m)昔の 人たちは草鞋を履き登山口の「天寺15丁」からこの石の道標を数え ながら山道をたどり、子ノ権現を目指したのだろうと当時が忍ばれる。 後日(6月11日)清掃登山(愛宕山で本隊と合流)でこの登山道を 歩いた時「天寺15丁」と思われる道標のさらに上部に「天寺16丁」 を発見した。同日子ノ権現のお坊さんと思われる方に、何丁まで あったのか聞いてみたが定かではなかった。 Top Page
2017年5月5日 撮 影:東 川 -No1-子ノ権現本坊庭園のボタン- -No2-小床集落の入り口にある【六地蔵様】- -No3-八重の山吹- -No4-道路脇の【マムシグサ】学名:Arisaema serratum- -No5-モクレンが満開でした- -No6-小床集落の登山口近くにある民家- -No7-登山口に鎮座する石地蔵様- -No8-子ノ権現周辺には【シャガ】の群生多し- -No9-よく見ると美しいシャガの花- -No10-子ノ権現山門- -No11-参道が続く- -No12-【本坊】茅と杉の皮で何層にも 葺かれた屋根が名物- -No13-【本堂】総ケヤキ造りの旧本堂は 昭和57年7月落雷により消失その後再建された。- -No14- - -No15-祀られている仏様(本堂祭壇横に掲げられている)- 創建911年(延喜11年)天台宗 特別寺 武蔵野観音三十二番札所 関東百八地蔵尊 十番札所 -No16-昭和十二年三月吉日 神田講中 奉納- 本坊の軒には奉納された額が沢山ある。 人力車組合など足腰を使う人たちの額が多い。 -No17-紀元二十五年三月(明治9年)武蔵國 比企郡 小川町大塚- -No18-大正五年十月吉日 埼玉県 大里郡 深谷町 人力車組合 奉納- -No19-明治十六年三月吉日のみ読める- -No20-小高い山にある鐘楼- -No21-鐘楼からの東京方位面- -No22-鐘楼からの 本堂&本坊- -No23-中央【愛宕山】愛宕社(奥宮)がある- -No24-愛宕社- -No25-低山でも遭難事故多し:注意!!- -No26-二本杉(天然記念物) 樹齢およそ千年- -No27-雷の被害を受けている- -No28-天寺 12丁 登山道に置かれている距離表示の石の道標- -No29-苔むした 天寺 13丁- -No30-登山口に置かれた 【天寺 15丁】と思われる石の道標- -No31-ツツジが満開- 小床集落の登山口から子ノ権現まで、1丁置きに「天寺○○丁」 と刻された石の道標がおかれていたものと思われる。現在「天寺 12丁」〜「天寺15丁」が確認できる。登山口が「天寺15丁」子ノ 権現が「天寺1丁」であったと思われる。(1丁は約190m)昔の 人たちは草鞋を履き登山口の「天寺15丁」からこの石の道標を数え ながら山道をたどり、子ノ権現を目指したのだろうと当時が忍ばれる。 後日(6月11日)清掃登山(愛宕山で本隊と合流)でこの登山道を 歩いた時「天寺15丁」と思われる道標のさらに上部に「天寺16丁」 を発見した。同日子ノ権現のお坊さんと思われる方に、何丁まで あったのか聞いてみたが定かではなかった。 Top Page
創建911年(延喜11年)天台宗 特別寺 武蔵野観音三十二番札所 関東百八地蔵尊 十番札所
本坊の軒には奉納された額が沢山ある。 人力車組合など足腰を使う人たちの額が多い。
後日(6月11日)清掃登山(愛宕山で本隊と合流)でこの登山道を 歩いた時「天寺15丁」と思われる道標のさらに上部に「天寺16丁」 を発見した。同日子ノ権現のお坊さんと思われる方に、何丁まで あったのか聞いてみたが定かではなかった。