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日  和  田  山

(歴史を学ぶ登山となった。こんな登山もまた楽し)

     3月中旬、スキーで転倒し脊椎圧迫骨折をして、鎧のようなバストバンドをしてから2ケ月、
     やっとバストバンドから解放されたので、恐る恐る日和田山に登った。体幹がしっかりしない
     が、時間を気にせず草木を愛で、登山道周辺の構築物を観察しながらのんびり歩いた。
     今年(2016年)この地旧高麗群は、建群から1300年を迎えるとのことで、近くの高麗
     神社や聖天院では記念行事が行われているという。
     旧高麗群は、霊亀2年(716年)この武蔵野の大地に1799人の高麗人が入植し未開の原野
     の開拓に当たった。大和朝廷はこの地を「高麗」と称し、高麗王若光を首長とした。
    「高麗」はかって朝鮮半島から中国大陸にかけて領有した大国高句麗のことで、668年に
     滅びた高句麗から、高い文明を持った多くの人達が日本に渡り土着した。 (高麗神社HPより抜粋)

2016年5月29日

撮影・文:東川


- No1- 日和田山の玄関口で、旧高麗群への入り口でもある西武秩父線の高麗駅前には、写真のような
2体の木像が立っている。この二体一対の木彫りの像の名前は、「ジャンスン」で、韓国民間信仰
の一形態として、村やお寺の入り口に建てられ、村の不祥事を防ぐ守護神とされています。また、
田畑の傍に建てられた「ジャンスン」は、道標として旅人の安全を守る道の神様でもあります。

- No2- 日和田山登山口の大きな石の鳥居
鳥居をくぐると、左男坂右女坂の分岐となる。

- No3- 鳥居の近くの石碑、掘られた文字は
剥離し判読できず。右下には「申」の字が。

- No4-  安全を見て女坂を上ることにした。
鳥居をくぐり瞬く登ったところに大きな岩があり
金属で作られた祠が安置されていた。近づいて
見ると中には観音様が祭られていた。何方かが
登山の安全を祈って祭ったのだろうか。

- No5- 観音菩薩像

- No6- 下草が刈られてきれいになった山肌

- No7- 金毘羅神社前の見晴らし広場

- No8- 巾着田

- No9- 東急ニュータウン こま武蔵台団地

- No10- 金毘羅神社前広場の石碑

- No11- 金毘羅神社

この神社の少し手前の左側の石碑には
【武尊山大権現】【御嶽山○○大権現】と
刻され判読できたが、もう一行の○○〇
大権現は判読できず。建立年月日も不明。


- No12-
日和田山山頂の森≪上≫
寶 篋 印 塔≪右≫
日和田山山頂には一基の大きな寶篋印塔が立っている
寶篋印塔は寶篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のち
に供養塔,墓碑塔として建てられた。中国,呉越王の
銭弘俶が建立した八万四千塔を模して日本でも様式が
定まり,呪文の有無にかかわらず寶篋印塔と呼んで
いる。 (本文は出典元の記述の一部を掲載しています)
以前にも調べたことがあったが、この寶篋印塔の
塔身の四面には「梵字」が刻まれ基礎には建立者
と建立年月が刻まれている。写真をご覧ください。

- No13-寶篋印塔(ほうきょういんとう)

- No14-建 立 年 月 (1725年)
享保十乙巳天 三月とある。
高麗へ入植千年を記念して建てられたのだろうか?

- No15-建 立 者
聖天院 三十五世 法印隆故とある。
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聖 天 院
  日和田山東方1.2kmの山の中腹に大きなお寺があります。このお寺が聖天院です。聖天院は、真言宗
  智山派寺院で高麗山勝楽寺ともいいます。当地を開拓して亡くなった高麗王若光の菩提を弔うため、
  751年創建されました。高麗王若光の守護仏聖天像を本尊としたと伝えられています。
  江戸時代には54ヶ寺の末寺を擁し、15石の朱印状を拝領していました。
  1261年銘の銅鐘や鰐口など数多くの文化財を所蔵しています。
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- No16- 虚空蔵菩薩(タラーク)
梵字は古代インドで発祥した文字で、サンスクリット
語を表記するために造られた文字となり、空海、最澄
が伝来させた仏教(密教)とともに日本に伝わった。

- No17- 阿弥陀如来(キリーク)
梵字は一文字で神仏を表し、お守りとして身に着ける
ことで、悪しき人間は良き方向へ、よき人間はより
良き方向へ導き、様々な功徳を与え、災難から救うと
いう神聖なパワーを持っているといわれている。

- No18- 日和田山からクライミングゲレンデに通じる
登山道にドラム缶の「防火用水」が置かれていた。
しかし、「防火バケツ」がない。どうやって消火作業
すればよいのだろうか?片手落ちだ。クライミング
ゲレンデに岳稜会員3名が練習に入っていると聞いて
訪ねたが、大勢のクライマーで見当たらなかった。

- No19- 男岩

- No20- 高麗川

- No21- 日曜でバーベキューの人たちで賑やか。

- No22-

- No23- 高麗駅前の売店の入り口にたつ
「ジャンスン」


- No24- 県立歴史と民族の博物館で開催

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【反 省 先 に 立 た ず】
  急斜面を直滑降中頭から突っ込む転倒をした。ヘルメットを装着していたので頭への怪我はなかったが
  背骨に圧力がかかったのか圧迫骨折をしてしまった。
  事故から腰痛が続いて寝起きの時が大変だったが、日常生活にあまり支障はなかった。しかし一向に
  腰痛が改善しないので、整形外科医院にいって診察しMRIの結果、胸椎12番圧迫骨折と診断された。
  それからは、鎧のようなバストバンドを胴に巻いての生活になった。足腰の筋肉を落とさないため、背骨
  に負担をかけないようできるだけ動くことに心がけた。2ケ月後バストバンド必要なしの診断を受け外した。
  すっきりしたが何か身体が安定しない。背筋腹筋が衰え体幹が確りしないのだ。
  鍛えねばとラジオ体操とストッレッチを再開した。頑張るぞ。でも無理は禁物だ。反省。
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- No25- 脊椎のMR写真(白い部分が骨折箇所)

- No26- 圧迫骨折箇所 胸椎12番