ようこそ!大宮岳稜会のアルバムへ

福徳寺〜飛脚道〜ユガテ〜北向地蔵〜物見山〜日和田山〜日和田ゲレンデ〜高麗
 (7時40分〜13時10分)

(個 人 山 行)

以前は足腰の訓練で、伊豆ヶ岳から子ノ権現をよく歩いたが、最近はグレードを落とし日和田山から
五常の滝又はユガテ間を歩いている。今回は逆コースを景色を愛でながらゆっくりと歩いてみた。
特に福徳寺からユガテまでの古道飛脚道は、地主の好意により新たに整備されたコースでり、一度歩い
てみたいと思っていた。ユガテまでの約50分は1名の登山者に逢ったのみで静かな登山道であった。

2013年9月14日  撮 影:東 川


-No1.福徳寺 阿弥陀堂 屋根の曲線が美しい。
(福徳寺 阿弥陀堂) -

-No2. -

-No3.古道飛脚道入口-

-No4.  古道旧飛脚道の急坂を登り尾根に出ると、
 ユガテ〜吾那神社(東吾野駅)の登山道に合流する。

-No5.飛脚が走った道-

-No6. ホトトギス
ホトトギス属(Tricyrtis hirta)

-No7. -

-No8. -

-No9.ユガテ〜吾那神社登山道との合流地点の道路標識には
「虎秀やまめクラブ」の標識が付いており、やまめ釣りクラブかなと
思って調べて見ると、東吾野地区の中高年ハイキングクラブで虎秀の
山々をめぐり道路標識の整備も行っているようである。写真No11の
「虎秀村」は、明治22年(1889年)周辺4ヶ村とともに、高麗群の
東吾野村となり、明治29年(1896年)には高麗群は入間郡になり
東吾野村は昭和31年(1956年)飯能市に編入されました。
虎秀の地名は今も残っています。
吾 那 神 社

-No10.どうしてこんな根が出来たんでしょうか??-

-No11.この地点から5分ほど入ったところの-

-No12.雨乞塚はありました。昔はここで雨乞い行事を
したのでしょうか。それにしても山奥だ。-

-No13.男坂・女坂分岐点
男坂を橋本山へ。

-No14. 南斜面は開けていた。-

-No15. 東京都境にある山々が。-

-No16.ユガテ入口(桃源郷とも言われている)-

-No17.
西川材は江戸時代から地元で沢山使用されていたが、
寛永6年荒川の瀬替えがされたのち、江戸では火災
が多発して木材が足りなくなった。そこで、入間川
高麗川・越辺川から荒川を経て大量の木材が江戸に
運ばれた。江戸の西の川から運んだことからして
「西川材」と呼ばれるようになった。

-No18.ユガテから北向地蔵間の登山道に空井戸あり -

-No19.シュウカイドウ(秋海堂)中国原産-

-No20.北向地蔵 地蔵尊3体-

-No21. -

-No22.自動車道との交差地点から広い切通が出来ていた-

-No23.簡易舗装された道路が続く-

-No24.広い道路の行きづまりには軽自動車が、この右下には
孤立した2軒の民家ある。(小瀬集落?)一度訪ねてみたい-

-No25. 物見山山頂-

-No26.東京タワーより(332m)より43m高い-

-No27.時代物の「山火事予防」-

-No28.正月にはしめ縄が飾られる-

-No29.瓦をのせた小さな祠-

-No30.ご利益がありますように。「恵比寿大黒様」-

-No31.物見山と高指山の中間地点の休憩所と日高市の公衆トイレ

団体さんがこの場所で良く休憩している -


-No32.中間の一軒茶屋-

-No33.ヒヨモンチョー-

-No34.日和田山山頂近くの岩場には、「層状チャート」状の
岩がむき出しになっている。大昔は海の底だったのだろうか?-

-No35. -

-No36.この宝篋印塔は、基礎の一面には建立年、享保十乙巳と
建立者と思われる,聖天院 三十五世法印隆故と記してある。
享保十乙巳は1725年であるから今から288年前である。
また、塔身の四面には「梵字」が刻まれている。

山頂からは、川越・東京方面が遠望できる。
土日は大勢の家族ずれで賑わう-


-No37. -

-No38.日高市のシンボル 日和田山(305m)
右は(No39)日和田山を守る会のモニュメントで
しょうか、プレート「日守会」は錆びついて時代を
感じます。現在もこの会は存続しているのだろうか -

-No39.-

-No40.金刀比羅神社-

-No41.金刀比羅神社からの日高市・飯能市-

-No42.金刀比羅神社鳥居からの「巾着田」

-No43.新しい案内板が出来た-

-No44.日和田女岩ゲレンデ-

-No45.岩登りは自己責任で-

-No46.土曜日とあってクライマー多し
特に中高年の女性が目立つ-

-No47.まだアジサイの花が咲いていた-

-No48.曼珠沙華 一週間後の巾着田は満開か-
巾着田 曼珠沙華情報-

-No49.高麗川で遊ぶ カモ-

-No50.街道にある高札-

-No51.江戸時代に幕府が定めた法度や覚書などを書き記した板札を
村の中心や主要な街道が交差する交差点といった人どうりが多く、
目に触れやすい場所に掲示しました。板札は人々を見下ろすよう
に高く掲げられ、この掲示施設を高札場といいます。この高札には
「キリスト教は禁止されているが、信仰する者を届け出た者には
褒美を上げよう。しかし、隠した場合は、名主、五人組にも罰を
与える。」と切支丹禁制に関わる内容が記されています。この高札
場は、昭和60年に復元されたものです。 (日高市)-

 トップページへ。
 2012年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2011年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2010年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2009年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2008年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2007年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2006年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2005年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2004年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2003年度岳稜会アルバム一覧表へ。
 2002年度岳稜会アルバム一覧表へ。