見沼の彼岸花と小郷土史
(さいたま市)  

    埼玉県の彼岸花というと遊歩会でいった日高市高麗の「巾着田」の彼岸花がゆうめいです。
   私の家の近くに「見沼代用水路東縁」という大きな用水路があり、見沼自然公園があります。この公園を中心に用水路の
   土手沿いに彼岸花が3〜4キロにわたり列をなして咲くのです。遠くから見ると赤い帯のように見えます。
   ここには観光バスもきませんし、お花見のマイカーの渋滞もありません、特別な行事もありません。ここのお花を知っている
   市民が散歩したり、自転車でお花見を楽しんでいます。
   写真No1は土手沿いに咲く彼岸花、写真No2は「見沼たんぼ」の稲刈りをバックに咲くお花、写真No3は用水路に
   咲くお花です。
 (小郷土史)
   さいたま市では数年前「区制」が実施され私の住んでいるところは「見沼区」となりました。
   しかし、現在のところ区内に地名を代表する「見沼」という沼は無いのです。
   1629年、時の関東郡代伊奈忠治は現在の浦和の大間木のあたりに「八丁堤」という大きな堰堤を築き「芝川」を堰き止め
   水田のかんがい用のダムを作ったのです。周囲40キロメートルにも及ぶ大きな沼ができこの沼を「見沼溜井」と呼んだのです。
   私の住んでいるところはこの沼底であったようです。
   それから100年の後将軍徳川吉宗の命によりこの沼は廃止され広大な水田に生まれ変わったのです。
   この水田を今わ「見沼たんぼ」と呼び写真にあるように今稲刈りが行われています。
   そして「見沼溜井」に代わるかんがい用水をここから60キロヌートルも北にある利根川より取水したのです。
   この水路が「見沼代用水路」で現在も使われています。

(撮影月日 18年9月30日  撮影と文 さいたま市 土屋 實氏)


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