-No14.甲州街道の一里塚(恋塚)-
この一里塚は、五街道の一つである甲州街道に築かれた塚の一つです。
日本橋から21里(82.4Km)20番目のものです。
五街道とは、徳川家康によって設定された東海道・中仙道・奥州街道・日光街道・
甲州街道のことです。
二代将軍秀忠は、一里塚の制を定め、永井白元・本白光重の二人を一里塚の奉行に
任命して、全国の果てから果てまで一里塚を築かせました。
一里塚は街道の両側に五間四方の(82.5u)の大きさで築かれた塚です。
その上にエノキ・ケヤキ・松・モミなどの木を植えて目印としました。
植えられた木はエノキが多かったが、この塚に植えられた木は松だったようです。
一里塚は、明治34年、中央線が開通して交通機関が汽車に代わるまで、旅人が
江戸からの距離を知って、もう一里・もう一里と塚を楽しみに旅をしたり、人夫や
馬を借りるときの駄賃を定める基準にしました。
また、暑い時は一休みする木陰に利用したり、にわか雨には雨宿りの場ともなりました。
(上野原町教育委員会) |