(冬合宿定例山行)
1月7日(金)
1月8日(土)
1月9日(日)
山 行 報 告
1月7日(金)
1月8日(土)
1月9日(日)
山 行 記 録
旧大宮中央公民館(20:00)⇒東松山IC
(20:55)⇒横川SA(22:10)⇒佐久IC
(22:35)⇒道の駅(ほっとぱーく浅科)(23:00)
道の駅(7:40)⇒上諏訪駅(8:55)⇒茅野駅入口
(9:10)⇒美濃戸(9:55〜10:25)→行者小屋キャンプ地(14:10)
テント地(7:50)→中岳分岐(9:15)→赤岳(10:20〜10:45)→横岳分岐(11:25)→テント地
(11:55〜13:20)→美濃戸(15:30〜16:00)⇒もみの湯(16:45〜18:15)⇒諏訪南IC(18:30)
八王子IC(20:10)⇒旧大宮中央公民館(22:10)
勤めを持っている人もおり、出発時間は午後8時旧中央公民館となり8時前には7名全員集合
する。天気予報は長野地方大雪を報じていて皆心配しながら定刻に車2台(田中車・簑島車)
で出発。横川SAで休憩を取る。小雪が舞っていてSAのテレビは天候悪化を報じている。
リーダーの田中さんを中心に皆で相談した結果、上高地徳沢まで入るのは困難と判断し、冬でも
比較的天候が安定している八ヶ岳(赤岳)に変更して、これからの行動計画を立て直す。
今夜は、浅科村の道の駅迄行ってテント泊する事にしてSAを後にする。
午後11時に道の駅(ほっとぱーく浅科)に到着する。遅いが酒宴を開き12時少し過ぎには
シラフに入った。
6時に起床、寒気が張り出したのか寒い。昨夜は気がつかなかったが、広場には昔懐かしい
「藁堆」(わらにお)が2つ作ってあり説明文が付いている。 「藁堆」
簡単な朝食を摂り湯を沸かしてテルモスに詰め出発。和田峠経由か白樺湖経由か迷ったが、
通行量が多い和田峠を越える事にした。昨夜降雪があり除雪車が出動していた。
峠の木々は雪を被り朝日に照らされとても美しい。
下諏訪・茅野を経由し美濃戸山荘駐車場に到着したのは10時少し前であった。
連休とあって狭い駐車場は登山客の車で満杯である。
早速身支度荷造り、テント・食糧・器材等分割し出発する、リックは20K以上か、肩に食い込む。
天気は快晴だが気温は低い、踏みしめる雪の音が「キュ・キュ」と小気味良い音を発している。
行者小屋に近づくに従い積雪量も多くなり、全ての木々はホワイトツリーで真っ白に輝いている。
横岳から赤岳の稜線も白銀に輝き迫力がある。
キャンプ地には午後2時10分に到着した。登山者が多くテント場も賑やかである。
早速雪を掻き均し5人用2張のテントを設営。
夕食は女史隊員が献立したキムチ鍋、一つテントに7人が車座になりキムチ鍋をつつきながらの
酒宴、冷えた身体を芯から温めてくれる。この一時が山行の中での楽しみの一つでもある。
持ち上げたアルコールとキムチ鍋うどんはそれぞれの身体に収まり、満腹満足顔で寝袋入り
となる。午後8時鼾とともにドリームの世界へ----------。
5時起床、全てのものが凍り付いてカチカチである。
昨夜残りのキムチ鍋に餅2枚ずつ入れての朝食。出来上がるまでに相当時間を要した。
今日は天気が悪い、ガスで30m先は乳白色の世界でしかも風が強い。山頂は強風が吹きまくって
いるかもしれない。サブザックに必要な装備・食糧を詰め7時50分赤岳に向って出発。
中岳分岐あたりから風が一層強くなり、時たま耐風姿勢を取らざるを得なくなる。気温は氷点下
30度位だろうか、手足の指の感覚が無くなる。
赤岳山頂には10時20分に到着。キャンプ地から2時間半を要した。山頂でデジカメ写真を撮るが
レンズに付着した水滴が凍ったのか、ボケボケ写真になってしまった。
風を避けて岩陰で休憩後地蔵尾根に向う。下る従って風当たりも弱くなり手足の指の感覚も大分
戻ってきた。
地蔵尾根では20名程の重装備のパティーがマイペースのスローで下山、暫く後についてのんびり
下るが、後続の人たちを全然気にしない様子である。このリーダーは登山常識をわきまえているの
かな?!!。見かねて田中さんが要請しやっと通過させてもらう。
テン場には12時少し前に到着する。予定した時間であった。昼食を摂りテントを撤収し美野戸山荘
駐車場に15時30分に下りた。帰途は「もみの湯」で汗を流し生ビールと信州蕎麦に舌鼓を打ち、
それぞれに大宮に向う。22時過ぎに皆無事帰宅した。
厳しくも楽しい有意義な冬山合宿定例山行であった。田中リーダー有難う御座いました。 以上